第24回『ひったくり事件の真実』
(2004_09_10)
 2003年の1月のことだ。書こうと思いながら、ズルズルと一年半以上も経ってしまった。本当にありのまま伝えられるかどうか分からないけれど、やってみる。

 「進行形・完了形 つい時制の…」の後書きを書き終え、一息ついた帰り道。駅から家まで歩いていた私は、後ろから来たバイクの男に、いきなり倒された。何が起きたのかは、分からなかった。
 気が付いたときには、私は地面をひきずられながら鞄にしがみつき、運転中の男が片手でそれを引っ張っていた。男は、なんとか私を振り払おうと、やみくもに引っ張りまわす。ヘルメットの奥に見えた、男の目。
 声など出なかった。助けを呼ぶなんてことは、頭に浮かびもしない。襲ってきた相手と、やられている自分しか、そこに存在しない。ひたすら身を守りながら、相手が諦めてくれるのを待つだけの数十秒。住宅街の中を10mほどひきずられ、ようやく声を絞り出した私に、男は諦めて去った。
 ひったくり未遂。破れた服と、打ち身と擦り傷。済んでしまえば、それだけのこと。
なのに私は、その夜から、いろんなものと戦わなければならなくなった。

 私は、一度も取り乱しはしなかったはずだ。
 膝から血を流していたっておかまいなく、現場検証は事務的に進行した。パトカーに送られ夜中に帰宅してからも、持ち手のちぎれた鞄や破れた服を捨て、無事なものを洗濯機に放り込み、傷に触れないようシャワーを浴び、ちゃんと化粧を落としてベッドに入った。
 一人っきりの部屋で、耳について離れない自分のうめき声。表をバイクが通る音がするたび、家にいてもしゃがみ込んでしまうので、自分で両肩を抱く。そして、朝になったら必ず仕事に行くのだと自らに言い聞かせた。休んでしまえば、二度と外に出られなくなる。部屋の外は、ほんの一瞬の出来事によって、私の知らない、遠い世界になってしまっていた。明日のために、今はひたすら貝のように閉じて眠ろうと思った。

 翌朝。鏡の中の顔に「行くよ」と声をかけて外に出る。わざとあの場所を通る。近所に“通れない道”なんて作らない。しかし、朝日の下では、住宅地の中の現場はそれほど生々しくもなかった。
 とはいえ、通い慣れた道で、なぜか昨日だけ傷だらけになったことは、慣れ親しんだはずの現実に突き飛ばされたような思いがする。

 「もう、大変だったー。びっくりだよおー。みんな気を付けてえ」
昨日の夜からむっつりと押し黙っていた私は、職場では勢いよく袖をまくり、スカートをたくし上げ、体中の傷を見せびらかして歩いた。周りの人間は、それは驚いた。私は、元気だった。たぶん、必要以上に。
 明るく話せば、私自身、大したことないんだと思えそうで。

 本当につらくなってしまったのは、夕方から。日が暮れていって、夜になる。あの瞬間と、空気が似てくる。
 そのとき、欠けていた記憶がふいに蘇った。すれ違いざまに、男が私の右耳の後ろを殴りつける。地面に落ちた私。あれは現実?半信半疑で手をやると、そこには確かに大きな瘤ができていた。体が震えた。フラッシュバックなんて、本当にあるんだ。

 それでも、帰り道、電車に乗ってしまえば、後は家までノンストップで行くつもりだった。電車を降りたところで立ち止まったら、歩き出せなくなるかもしれない。だから、職場近くの駅構内の小さなコーヒーショップで、私は小休止した。ガラス越しの目の前を、ひっきりなしに人々が行き交う。ふだんはあまり頼まない、あったかくて甘いココアを飲んだ。
 「やっぱり、怖かったよね」
 そこで私は初めて、自分にそう認めた。たぶん前の晩からずっと、私は“怖い”と明確に言葉にすることを、自分に許していなかった。無意識のうちに、当たり前のことのように、避けていた。堰を切って流れ出すかもしれない恐怖感に、飲み込まれてしまうのを恐れて。
 でも、これから一人で夜道に向かう決心ができた今なら、怖い気持ちを認めてもいいよね。自分を慰め、励ますために。私はそこでそのまま、自分の両肩をつかんで、初めて泣いた。静かに、崩れないようにして。誰にも、気付かれてはいなかっただろう。
涙が止まると、私はそっと立ち上がった。ちゃんと、一人で帰れた。

 数週間が経ち、夜道を歩くとき以外、ほとんどそれまでと変わらない自分に戻ったつもりの私。しかし、日常生活の中、ふとしたときに、事件の飛沫に出合ってしまうことが続いた。
 週末になると私は、破れてしまったコートと、ずるずるに剥けたパンプスを買い換えに街へ出た。
 店先でついつい、「転んだら汚れるな…」などと思っている自分に気付く。「何言ってんの、もう転ばへんって!転ぶもんかね」と、今まで買ったこともない真っ白いコートと、ずっと敬遠していた爪先のとがったパンプスを買った。あんなことのせいで、地味な方へシフトしてはならぬ。意地だ。
 そうはいいながらも、事件後三ヶ月ほどは、駅から家までの間は、肩に鞄を掛けた上から上着をはおるという不格好なことをしていた。ふいに引っ張られそうな気がして、ふつうに歩けなかったのだ。

 常に壁側の肩に鞄をかける癖がついた。後ろでバイクの音がすると、目をぎゅっと閉じてしまう。“それじゃ危ない”と、とっさに振り返る。自転車が来れば、必ず立ち止まってやりすごす。
 音も立てずに猛スピードで横をすり抜けられると、息が止まる。わき上がる憎らしい気持ちを、どこにぶつけていいか分からない。怒りか恐怖か分からぬ感情に涙が出そうになる。

 そして事件から一ヶ月と少したった頃。どうも手が伸びなくなっていた、あのとき履いていたスカートを、私は久しぶりに履いてやろうと思った。しかし、それを取り出して、愕然とした。スカートが、泥だらけ。
 あのとき、テキパキ冷静に行動しているつもりが、やっていることはメチャクチャだったのだ。あんなに汚れたものをクローゼットにしまうなんて。
私にとってあの事件は、本当はもっと取り乱すくらいのショックだったのに、私はずいぶんと、自分に冷たかったんじゃないか。もっと甘やかしてあげても良かったんじゃないか。
 なんだか自分にとてもかわいそうなことをした気がして、でも他にやりようがなかった自分の不器用さと汚れたスカートを抱きしめ、私は二度目の涙を流した。

 あれ以来、一人で出かけ、一人で帰る生活は、変わっていない。変えなくてすんだ。変わらぬペースで遊び歩いてもいる。あの後夏が来て、また来た冬には、とんがりパンプスと白いコートでどこでも歩き回った。意地で選んだものゆえ、ひょっとすると似合っていなかったかもしれないけど、自分では分からない。

事件が心に残した爪痕は、血を流さなくなるだけで、消えはしない。おまわりさんに「死んでてもおかくない」と言われたけれど、危機に瀕したのは、体だけじゃない。
見知らぬ人にいきなり向けられた敵意は、想像以上に人を苦しめる。実際に浴びせられた人でなければ、決して分からない。“おサイフ盗られそうになっちゃったあ”というだけのことでは決してないのだ。
大切な自分が、相手にとってはただの餌食。私を大事にしてくれる人達もまとめて踏みにじられたよう。地面に転がる自分の姿と、うめき声は、きっと死ぬまで覚えているだろう。

 私は、事件のことを書こうとしながらも、ずっとできなかった。
「ひったくり未遂にあっちゃいました〜。みんな気をつけてね!」程度なら、いくらでも書けた。が、私にとってそんな2〜3行で済まされるものではなく、だとしたらそんなふうに書くのは、自分も、読んでくれる人のことも騙すよう。だから、書けるようになるまで書かないことを選んだ。
 事件から半年後、ようやく書いてはみたものの、事件の様子を最初から最後までびっちりと細密画のようになぞるだけの代物になってしまい、後から読み返してその細かさに気持ちが悪くなって、捨てた。
 たぶん、起きた出来事を受け入れるのが精一杯で、そこから何かを取り出すなんてことができる状態ではなかったのだ。
 その後も、書こうとすると息苦しくなったり、手が冷たくなったりして、涙しながら無理矢理書いては気に入らなくて捨てるを、数え切れないくらいに繰り返した。まったく普段通りの生活を取り戻したと思っていても、書くとなると駄目だった。

 一年半以上たった今、道を歩いていて他人に殴られるような錯覚や、事件と直接結びついた恐怖に身動きできなくなるようなことは、もうない。
しかし、やっかいだっのは、一人のとき、理由も前触れもなく、ふいに精神的に“落ちる”こと。つらいような、悲しいような、どこかへ逃れたくても体を引きずってどこへも行けはしないような。ただひたすらに暗い暗い心の底。
 こうなると、家にいても、外を歩いていても、だらだらと流れ始める涙が、ぐすんぐすんとなり、やがて止まるのを待つしかない。
 ただ、そのつらい一瞬は、必ず去る。知っているから、ひたすら自分に付き合ってやる。
 落ちるようになったのは、事件そのものの恐怖が薄れ始めた頃。最初のうちは、毎夜。いずれそれが数日に一度になり、二週間に一度になり、一ヶ月、三ヶ月と間隔が開いていく。今は、もうない。と、思うけれど、またふいに落ちてしまう夜もあるかもしれない。
 こうして降下と浮上を繰り返しながら、“落ちる”頻度が確実に減っていくことが、本当の立ち直りだった。

 私は、周りを騙してきたつもりはない。私が事件直後から今まで元気に仕事をして、いろいろと書きつづってきたのは、決して演技などではなかった。たとえ事件の翌日でも、恐怖にかられた瞬間、落ちてしまった短い時間以外は、明るく強くいつも通りの私だったのだから。
 本当に事件の恐怖に縛られて身動きがとれなかったのは、一日。事件後初めての「コトバ」に、「いいから忘れちまおうぜ」と私は書いた。その後は、繰り返し忍び寄ってくる闇と付き合いながら、毎日楽しもうとし、ちゃんと楽しくやってきた。
 事件の深刻さにもよるため一概には言えないが、私のようにちょっと怖い体験をした人の多くが、実はそうなのではないかと思う。いつも震えているような分かりやすい後遺症ではなく、どうしようもない気分の浮き沈みに、苦しめられるのだ。
 そんな人がもし身近にいたら、覚えておいてほしいのは、皆と一緒のときに元気だからといって、大したことじゃなかった、完全に立ち直ったとはいえないということ。その人は、一人のときに、黙ってそっと“落ちて”いるかもしれない。それは、心に留めておいてあげてほしい。

 傷は、自分の意志で癒せるものではない。私は為す術もなくただ生き続けただけなのだが、それでも心と体は修復されていったようだ。時間と、大切な人との関わりの中で。生き続けるということは、それだけで治癒能力を持つのだなと思う。
 傷ついたら、生きていけばいい。特に何もしなくていいから、ただ生きていれば。死なないでいれば、少しずつ傷は癒えていく。その遅々とした歩みに、付き合いきれるかどうか。そこが難しいところではあるけれど。
 私は、最近ようやく「ほんとに生き延びたんだな」と思うようになった。精神的にも。よみがえる恐怖に怯えることが、なくなったから。何しろ、こうして事件について書けるようになったのだ。まずは、それに乾杯!
 ここに来てくれる皆にずっと黙ってたこと、やっぱり心苦しかった。ごめんね。大丈夫だからあんまり心配しないで。こうして告白できて、良かった。それにも、乾杯!!