第22回『謎の赤ちゃん返り』
(2004_01_15)
 私は、毎晩のように夢を見る。長いドラマだったり、短いシーンのパッチワークだったり。日常の延長のようなものはまず無く、たいていは、とてもおかしな世界だ。自分であって自分でない私が、そこにいる。それは昔からずっとそうなのだけれど、しかし、ここ何ヶ月かの夢には、明らかな傾向がある。

 この前は、私が数年前に好きだった男の人が、ひょっこり出てきた。彼と私は車の後部座席に二人で座っていた。私達は、夜中に仲間達とどこかへ向かっていたらしい。
 彼は私に「これからしばらく車の中だよ。何かいる?」と聞いた。そこにいた私は、どうやらあんまり機嫌が良くなかった。無愛想に「チョコレート」と答えた私に、彼は「困ったなあ。チョコは持ってないよ」と笑って見せる。
 私はむすっとして、「じゃあ、抱っこ」と言った。本気だったわけじゃないと思う。“ない物があるなら何が欲しいかなんて聞かないで”と思う反面“次は絶対にある物を言わないと、この人がかわいそう”と思ったのだろう。
 彼は、微笑んで「分かった」と言うと、私の両脇に手を差し入れ、軽々と持ち上げ、膝に乗せた。“えっ?”私は驚いた。そのとき気が付いたのだ。
 私の体は、大人のものじゃなかった。私は、たぶん7〜8歳の、痩せた子供だった。驚き、そして、だからあんな会話をしていたのかと妙に納得したものの、彼の膝の上で、私はどうしたらいいか分からずにいた。

 今朝の夢などは、もっとすごかった。これまた夜の町を走る車の後部座席。今度は白いカバーがかかっていたので、タクシーかハイヤーだったと思う。私の隣には、知らないおじさんがいた。
 おじさんは、シートに片手をついて私の方へ身をかがめると、満面の笑みで「かーわいいねえー」と言った。そこにいた私は、そんなことには慣れっこのようだった。するとおじさんは、私のほっぺをちょんとつつくと、「このお顔は、ミルクいっぱい飲んだ顔だね」と言ったのだ。
 “ええっ?”これまた驚いたことに、おじさんにニッコリ微笑み返した私は、赤ん坊だった。己の変貌に気付いた私は、宙に浮いた笑顔のまま、途方に暮れるしかなかった。

 最近の傾向。見る夢全てがそうではないけれど、夢の中の私が、幼い。
 いったいこれは何なんだ。

 私は、「子供の頃にかえりたい」なんて全然思わない。子供時代が平和で幸せだなんて、大人の感傷、都合のいい歪曲だと、ずっと思っている。子供でいることは、それなりに、しんどい。
 子供には、家と学校しかない。(今の子は、塾も入るかも)ほめられるか怒られるか。嫌なことがあっても、誰かに嫌われても、大人みたいに逃げ場がない。憂さ晴らしの場もない。居場所を選べない。付き合う人間といえば、ガキか、先生か、親か。責任がないかわりに自由がない。知らないことも多いから、怖いことも多くて、恐ろしく偏った世界。
 ほら、子供って大変。それなのに…。

 考えたくもないことだけど、ひょっとすると私は、いわゆる“素直な子供”として、子供時代を生き直したいのではなかろうか。自分が子供だったときには、子供の現実が分かりすぎて「あり得へん」と思った姿に、大人となって色々と忘れてしまった今頃になって、妙な幻想を抱いているのか。
 私が実際に幼かった頃は、仮に好きなお兄さんがいたとしても、すねて「抱っこ」なんて絶対に、絶対に言えない子供だった。
 知らないおじさんにほっぺをつっつかれたら、たとえ「かわいい」と言われても、嫌で嫌で泣きたくなったはずだ。にっこり笑うようなかわいらしい子では、到底なかった。
 だから私は、夢の中での自分に、心底驚くのだ。私なんだけど、全然、私じゃないんだもの。

 子供なんて大変だ。もうやりたくない。大人がいいよ。
 責任があっても自由だもん。
 そう思いながらも、私は、強く憧れているのかもしれない。
 天真爛漫で、素直で、甘えん坊で、のびのびとした、“子供らしい”子供に。
 そういうの、今更こうやって気付かされるのも、結構しんどいな。今からじゃ、どうにもしてあげられないじゃない。
 私、今なら「抱っこ」って言おうと思えば言えるし、かわいいって言われたら余裕でにっこり笑えるよ。それじゃ駄目なのかな。完全に素直じゃなくて、どっかに計算が入っちゃうから。私の中に眠る子供が、それじゃ納得しないんだろうな。