第17回『いつかじゃなく、今 (FLASHDANCEの思い出2)』
(2003_03_11)
 映画FLASHDANCEでは、男の子みたいな主人公が、働きながら、くじけそうになりながら、プロダンサーになる夢をつかむ。普段は短気で不安定な彼女でも、音楽さえあれば、そこに自分だけの世界を作り出せる強さがあった。

 あの頃、ここではないどこかへ行きたいと願っていた少女の私は、その後「絶対に受かる」と言われていた高校受験に失敗した。数人が受験した中、見事に私だけが落ちたのだ。まるで他人事のように、「とんでもない話や」と思った。
 でもその一方で、「落とし前は自分でつけんと」と考えた。どうせ親に学費を払ってもらうくせに落とし前も何もないのだけれど、私は尼寺へでも行くような決意で、厳格な校則と奇妙な制服と熱心な英語教育で知られたカトリック系の女子高への入学を決めた。他の学校の入試はほとんど終わっていたし、中2、中3とあまり勉強に身が入らなくなっていた間も、幸い英語の成績だけは落ちなかったからだ。
 しかし、入学式前に、「三年間男女交際はしません」という誓約書に署名捺印して提出させられたときは、先を思ってげんなりするとともに「この犠牲の分だけ何か貰わんと合わん」(貰わないと割に合わない)と本気で思った。

 入学初日。校門正面に白くそびえ立つ聖母マリア像は、幼子イエスを抱きながら、よく見ると素足で蛇を踏みつけていた。廊下には「私を信じる者は、死んでも生きる。イエス・キリスト」などと毛筆で書かれた張り紙があった。何というお出迎えだろう。「んなわけないやん。あんたら何やの」と思いながら、私は教室へと流れる生徒の波の中にいた。
 聖母マリアもキリストも、信じる気なんて、これっぽっちもなかった。この先3年間、どうにかして勝ち抜けることだけを考えていた。「いつか」じゃなくて、「今」すごくならなきゃいけない私の高校時代が、始まった。

 相変わらず私は毎夜々々、自室の同じ窓から外を眺めていた。その窓にはバルコニーがあって、広がる夜空に家々の灯りが輝く光景は、柵の向こう側みたいに見えなくもない。たまにそれが気に入らないときがあって、夏でも冬でもバルコニーに出て、眼下に広がる町を見た。
 「ここに生まれてここまで生きてきたんやし、ここからどうするかを考えんとなあ」と私は思うようになっていた。行きたいところへは、自分で行かないと。誰も連れってってはくれない。自分自身が変わらないと、どうしようもない。私にも、「コレだ!」っていう何かが欲しいと思った。

 毒を喰らわば皿まで、だ。方言禁止、窓から外を眺めるのは禁止、すべての授業の始まりはまず祈りから…という珍しい学校で、私は高1の終わり頃には学年トップ争いの常連になった。
 そのうちにすっかり女子校に染まり、バレンタインには女の子にチョコをもらったし、手編みのマフラーもプレゼントされたし、下級生に写真をねだられたりもした。そして、いつのまにか時代はレコードじゃなくCDに変わっていて、FLASHDANCEも棚の片隅に追いやられていた。

 あれから20年近く経って、大人になった私が聞くFLASHDANCEのサントラは、「あれえ、こんな歌詞だったのかあ」なんてのの連続だ。でも、驚くほどに鮮明な記憶を、あの頃の空気をつれて返ってきた。「どこかへ行きたい」から「何かをつかみたい」へと変わっていった私と一緒に。
 サントラのラストに、激しいリズムに乗って、MANIACが流れる。なんでだか、涙が滲んでくる。She's a maniac, maniac on the floor. She is dancing like she's never danced before.....疲れることも怠けることも知らないで、狂ったように今に燃えることで新しい自分に出会うのだ。

 あれから私は、あの頃の私に対して、憧れをちゃんと叶えてあげてきた?できてないところ、まだいっぱいあるね?ずっと忘れてたこと。いつのまにか妥協してたこと。もう一度、ちゃんと向き合ってあげないかんね。
 じゃなきゃ、あの頃、あんなにまっすぐ「すごい自分」を信じてた私が、ただのアホになってしまう。そんなの嫌だ。あんなに未来にドキドキしてた自分。どこまでできるかわからないけど、裏切らないでいてあげたい。