第15回『15歳そして15年後の事件』(2002_09_26)
 私が岐阜に住んでいて、セーラー服の中学3年生だったある日の、思い出。春の陽が差し込む明るい教室で次の授業を待っていると、ある男子が「恵理ちゃん、ちょー来て」と言うのが聞こえた。声の主は戸口に立ち、指をクイクイと曲げて私を呼びながら、ニコニコ笑っている。軟派な都会ならいざ知らず、当時イナカで女子を“〜ちゃん”などと呼ぶ男子は、いわゆる不良である。
 彼は小西というクラスメートで、学年15クラスもあったあの中学でも、1~2を争う“悪い子”だった。私だって、スカート長いし、名札はしてないし、髪は天パで、決して真面目には見えていなかったに違いないけど、特にどこかのグループに属しているわけでもなく、ただの格好だけ。
 一方、学ランは刺繍入り、リーゼントにぶっといズボンで登校し、煙草をふかすアイツは、同じくどこにも属していなかったはずだけど、それはどこにも収まりきらないという理由からだったと思う。アイツが「るっせーな」と言うときの刺々しさは先生もひるむほどだったけど、そんな顔をしていないときのほうが圧倒的に多くて、笑っていれば可愛い色白の男の子だった。

 「なにー?もう鐘鳴ったよ」と言いながら廊下へ出ていくと、アイツは「いいから来いや」と言いながらズンズン私の先を歩き、階段を途中まで降りると、くるっと振り向き、なんだか嬉しそうに「なあ、ええもんやるで、目つむって」と言った。幼く間抜けな私は、“何で?”と聞きもせず、「うん」と言って目を閉じ、手を出したのだった。その手に、アイツの手が触れた。1秒、2秒…。
 「こら〜っ、小西ぃ。ナぁニやっとる〜!!」と、いきなり学年主任のがなり声が飛んできた。驚いてパチッと目を開けると、目の前に、アイツの顔が迫っていた。え?
 「ちぇっ。いいとこやったのになあ」とクシャッと笑って頭をかくと、アイツは私の肩を一瞬抱くようにポンと叩き、大股&ガニ股のヤンキー歩きでゆっくりと教室へ帰っていった。な、なんだ今のは?もしかして、もしかして?
 「小西!多岐川にかまうなーっ」と学年主任。
 「ほーい」と後ろ姿のアイツ。
 一人階段に取り残され、しばし呆然とした後、我に返った私は「え、え、え〜?!」と叫んだ。そこへまた怒声が飛んだ。
 「こらあ、黙って早よ教室入れー。多岐川も多岐川じゃ、あんなたーけの相手しとっていかーん。危ないがー(あんな馬鹿の相手をしていてはいけない。危ないじゃないか)」と1階下の階段手すりから顔を突き出し、学年主任が手を振り上げてガーガー怒鳴っているのだった。

 なんとまあ学年主任のおかげで、私のファーストキスは守られた。「許せーん!」と思いつつ教室に戻ると、授業は既に始まっている。慌てて席に着くと、背をかがめたアイツが、窓際の席から小さくちぎった消しゴムを投げてよこし、ニッと笑って“惜しかったなあ”と口をパクパク動かした。先生の目を盗んで“ばーか”と返すと、奴は楽しそうに腹を抱えた。
 授業の後、アイツはふざけて「オレと付き合おっか」と言ってきた。でも、その前に、私の前の席の子に声もをかけていたし、私は一言「何でよ?」と言って終わりにした。私の次に聞かれた女の子が、何を考えたか「いいよ」と言ったので、その日からその子はアイツの彼女になった。そして次の日にはもう、アイツは「まみ子あいしてる」などと机に彫ったりしていた。愛すべき、しかし、しょうもないクラスメートだった。

 そんなキス未遂事件のことを、私はずっと覚えている。だから、2年ほど前に地元の友達に会ったとき、私はふと「小西、元気かねえ?」と聞いてみたのだ。すると彼女は言った。
 「それが、なんでか知らんけど、この前いっきなり電話かかってきてさあ。“何ぃ、久しぶりやねえ、どうしたん?”って聞いたら“いやあ、懐かしいなあと思って”って言うで、“今何しとるん?”って聞いたら“ちょっとそれは言えん”って言うんやよ。“テキ屋か何か?”って聞いたら、“そんなようなもん”やと。で、“元気で良かった。今オレ追われとるで、長くは話せぇへん。ほんなら、元気でな”って、そんだけ。何やったんやろ。あの子もいい加減落ち着きゃあいいのにね」
 私達は「何したんやろね?」と言いつつ、どうせヤクザと喧嘩したとか、警察に目をつけられたとか、そんなことだろうと思っていた。「追われとる」なんて、彼の目立ちたがり精神が大袈裟なことを言わせたにすぎないと。
 それでも、やっぱり気にはなっていた。東京に戻った私は、地下鉄に揺られながら、夜道を歩きながら、ふっと「もう家には帰れたのかな。危ない目に遭ってないかな」などと思ったりしていた。

 その彼の名が、再度私の目に飛び込んできたのは、つい先日のことだ。新聞を読みながら見るともなしに見ていたTVの公開捜査番組。逃走中の殺人犯に向かって、司会のみのもんたが大声で「小西、出てきなさい!」と呼び掛けた。
 ふと目を上げて見たTV画面の、手配写真の顔。それはまぎれもなく、久しぶりに見る、大人になったアイツだった。う、そ…。
 彼の容疑は、覚醒剤使用後、暴力団員宅と間違って老夫婦の寝込みを襲い、改造エアガンで殺傷したこと。後に別件で逮捕された2名の自供により、小西が主犯だということになっている。
 番組によれば、逃亡生活の間、アイツは担当刑事に7~8回電話をしてきており、「俺はやってない。信じて」と繰り返し言っているそうだ。言い分があるなら出てこいと説得する刑事に、「こちらで話がついたら出頭する」「明後日行く」などと言いながら、約束は果たされないままなのだという。

 あのキス事件は、中3の1学期のことだった。あの後、彼はどんどん“悪く”なっていき、3学期にはロクに教室に顔を出さなくなっていた。その頃から既に、暴力団とつき合いがあるとか、組員になったとかいう噂があったのは事実だ。
 空き教室で大声がすると皆で駆けつけると、アイツがロッカーの上に寝転がり、シンナー抱えてラリッていたということもあった。取り囲む生徒達の顔が見えているのかいないのか、目はうつろ。
 私は、見てはいけない気がして、背を向けて教室を出ようとした。すると、後ろから皆のワッという声がした。振り向くと、アイツがナイフを振りかざしている。回らない舌で「なに見とるんやあ」と怒ると、そのままロッカーから転げ落ちた。
 そんなものを吸ってラリる方が文句のつけようがなく悪いが、周りにあんな目で見られるのは悲しいことだと思う。見ている方も悲しかった。もしも誰かがそれを言葉にして彼に伝えていたなら、何かが変わっていただろうか。でも、そんなものは感傷に過ぎないようにも思う。アイツは、悪い奴じゃなかった。ただ、弱かった。

 中学卒業時に皆にまわした私のサイン帳には、たまたま学校に出てきたアイツが書いたメッセージが残っている。「エリちゃんへ。あのときもしキスしとったら、今ごろ俺らには赤ちゃんがおるかもしれんなあ。惜しかったなあ。ヘヘヘ」
 それを知っている友達は、「そんなことにならんで良かったねえ。そしたらエリちゃん今頃みのもんたの横で“あなたぁ、出てきてぇ”って訴えとったに」などと言っている。
 アイツはメッセージの最後に「中学校はいやなこともいっぱいあったけど、楽しかった。ありがとうな」と書いた。

 人生はどこでどう曲がって、どこへ進んでいってしまうか分からない。誰かと一緒に笑っていられる今日が明日も続けば、それはものすごく幸せなことなのだろう。だとしたら、生きていくってしんどいことだ。だって、今日と同じ明日は来ない。
 今日と明日は違うからこそ人生は素晴らしい、だからこそ可能性に満ちてるんじゃないか。それは本当だけど、年がら年中そんなに明るく前向きに努力ばっかりしていられるだろうか。
 ふと気を抜いた者に、明日はとてつもなく冷たいかもしれない。目立ちたがりで寂しがり屋の少年が落ちていくのは、あっという間の出来事だったのかもしれない。
 15年といえば、少年が殺人者となるのに十分な時間だ。でも、アイツの弱くて寂しがり屋なところは、変わってないのだろう。だから、逃げまどいながら、確かめるようにあちこちに電話しているのだ。
 殺したのか、殺していないのか。私には分かるはずもない。ただ、15歳のあの頃よりも、アイツが不幸でいることは間違いない。過ぎた月日を思って私が流した涙など、何の効力もない。