第12回『戦車の結婚式』(2001_010_22)
 短大のとき同じ寮に住んでた友達の結婚式に出た。教会で式をあげ、ニューオータニでの披露宴。私のテーブルはさながら同窓会だったのだけど、メインの鴨をつついていると、一人が高砂を見つめてしみじみ言った。
「ケイちゃんの、戦車のような押しの日々が思い出される」
 前には進むが後ろにゃ退かん、というケイちゃんの鼻息が感じられて笑えた。

 ケイちゃんというのは、ダンナじゃなくて、私達の友達、新婦の方だ。小柄なケイちゃんの手は指が短くて、手相でいうとあれは典型的な“頑固者の手”。学生時代は「あの男はやめときなって」という忠告を100万個並べられても「でもね、でもね」と言う救いのなさ。
 こんな事件もあった。寮でゴミを燃やしていたとき、誰かが「あ、私あのクーポン集めてるんだ。もし今度…」と何気なく言いかけると、ケイちゃんは「え?そうなの?」と慌て、火のついた焼却炉に手を突っ込んだのだ。私達の「ああっ」という悲鳴の中、クーポン券を拾い上げ「ごめんね、ちょっと燃えちゃった」と笑って手渡したケイちゃんだったが、その手にはしばらく包帯が巻かれることになった。
 こうしたい、こうしてあげたい、という自分の気持ちに逆らえない、とってもまっすぐな子だった。
 そういえば3年ほど前、まだ彼と知り合って間もない頃に聞いたことがあったっけ。「私ね、今度は本当に頑張りたいの。だから今すっごく頑張ってるんだ。とっても素敵な人なの」って。ケイちゃんは不安な恋心を抱えながらも「この前は一緒に向日葵を見たの」とか言って、嬉しそうだった。
 あの日から見たら、彼が祭壇でベールを上げて微笑んでくれた瞬間は、ケイちゃんにとって本当に夢のようだっただろうなあ。私までうるうるした。だって、ケイちゃんはいつだって、幸せに本当に近いところにいながら、どっちへ行っていいのか右往左往しているようなところがあったから。

 女の子は、二つにきっぱり別れると思う。戦車のように押しまくって、ちゃんと振り向いてもらえる子と、そうでない子と。私は典型的な後者代表。頑張んなきゃいけないようなのは、うまく実った試しがない。
 多分、分かれ目は、「けなげさ」「かわいげ」あたりにあるのだろう。とっても言いづらいことを一生懸命に言ったり、やったりして頑張る姿が「けなげでかわいい」か「見てる方がつらい」か。
 素敵な人と素直に言える。一緒に見た向日葵。ケイちゃんはずっと不器用だったけど、あのときは私から見ても本当にかわいかった。一方、過去の私のように本人でさえもちょっとぎこちなさを感じる自分ならば、他人がまっすぐに受け止められるはずもない。
 私ってかわいくないんだ、と悲しかったこともあった。でも、絶えず誰かに恋してた時期を過ぎてようやく素直に認められるけど、それはそうなんだから仕方がない。私はとっさに焼却炉に手を突っ込むような性格じゃないし、それどころかその話をこうやって書いたりする側の人間なのだ。その違いは大きい。
 事実を、自分を冷静にこねくりまわしてしまう性格に、普段の私はうんと助けられている。私自身におんぶに抱っこ。それがなかったら、こんな仕事して、一人で生活してなど行けない。私だってもちろん幸せに向かってドタバタはしてるけど、それがココ一番にかわいく見えないことは、特効薬にありがちな副作用みたいなもんだろう。

 式には当時同じ学生寮に住んでたシスターも来ていて、「あなたはまだ?」と聞くので「このままないかも」と答えると「そんなこと言わないで、なんとかなさいな」とのお言葉。
 なにさー、自分は試合放棄して女の園に住んでるくせにぃーっ。自分だって、幸せ=結婚じゃないって思ったんでしょー?
 しかし、私はすぐに気が付いた。彼女だって、一人の男、神様を選んだ。そして修道院というファミリーを得たってことに。ううむ。
 でもなあ、神様と彼を愛するその他大勢と生きるなら、私だって戦車になって生身の男を引きずり倒したいぞ。