第10回『おっぱいに名前を!』(2001_07_16)
 実は最近、17歳のときに記録した人生史上最高の目方を、あっさり更新してしまっている。やばい状態だけれど、ひとつだけいいことがある。ある女友達と数年ぶりに会ってお茶していたとき、彼女が言った。
「ねえ、おっぱい大きくなったよねえ?なんかさっきからどうしてもそこばっか目が いっちゃうんだよね。ヘンに思われる前に白状しとくね」
 ほーっほっほ。そう、これってやっぱり要は脂肪なのね。美しき誤解を解いておくと、ゆっさゆっさには程遠く、ちょっとばかり容積が増えただけです。

 おっぱい、それはほんとは小っちゃくたって大きくたって、なんとも魅力的なもの。
この前ちらっと読んだフランス小説によると、フランス女性は自分の左右のおっぱいに名前を付けて大事にするとか。(ほんとかな?)ちなみに、その本に出てきたのは、コーヒーちゃんとミルクちゃん。おお。なんだかカフェ文化、フランスの香りがするわ。よし、進歩を遂げた私のおっぱいにも、何か名前をつけてみよう。
 うーん、うーん。バターとジャム、なんだかベタベタしそう。チョコとキャンディ、そんなに甘いか?コーラとファンタ、シワシワになりそう。ウィスキーとブランデー、そんな経験積んでないって。じゃ、チューリップとさくら、幼稚園の組分けじゃあるまいし。月と星、それは宝塚。…。このあたりで集中力が切れた。月とすっぽん、杵(きね)と臼(うす)、婆さんと縁側、おっぱいと全然カンケーない方向へ突き進んでしまった。

 いかん、いかん。意識をおっぱいに戻さないと。心臓がある左側が立派な人が多いと聞くけれど、私は逆に防御が手薄。そういえば、昔、「がんばれ、みぎちち。俺はおまえの味方やでー」と言っていた彼がいたけど、彼から見た右乳は私の左乳だということに最後まで気がつかなかった、ばかちん君だったなあ。
 確か前述の小説には、「おっぱいは愛する男に捧げるもの」という言葉が出てきて「さすがフランス女」なんて感嘆の言葉が続いているのだけど、それって素晴らしいの?「俺のこいつは愛する女に捧げるものさ」なんて言われても、私はあんまり感激しない。私のおっぱいはやっぱり私のもの。誰にも、あげられない。

 日々の生活がどうにもしんどくなったとき、私は自分のおっぱいをそっと手のひらの中におさめる。小さく息をする。ちょっと安らぐ。息をする度に静かに大きくなったり小さくなったり、それだけで涙が出ることすらある。
 「だいじょうぶ、だいじょうぶ」リズムに合わせて私は自分に語りかける。すると私は限りなく子供になって、後から後から涙が流れる。何をどうしてくれと言うわけでもない、どうしてあげると約束するわけでもない。ただひたすらに、私はそうして私をあやすのだ。 ぽたぽた落ちる涙が止まった頃、小さな私は深く息を吸い、私のおっぱいはまた奥深くで眠りにつく。
 おっぱい持ってる私の心強さは、知らず知らずのうちに股間に手を置いて安心する男の人の比じゃないだろう。私にとっておっぱいは、せつないとき嬉しいとき怖いとき一緒に揺れる同士、一緒におしゃれをする親友、つらいときには静かに慰めてくれる、決して私より先に死なない偉大な母のようなもの。そういうもの。

 ああ、また話が飛んでしまった。そうそう、名前、名前。けっきょく私がたどりついた、おっぱいの名前は…。発表!!
 まめもち&くるみもち。どう?かわいくないですか?どう考えてもこれ以上のものは 出てこないってば。我ながら自信作なんですけど。