第7回『30って』(2001_06_04)
 TOKIOの城島リーダー、TM西川、工藤夕貴、辰吉丈一郎、ナイナイ岡村、永作博美、川原亜矢子…。私と同い年の方々。30歳は一つの区切りとしてインタビューの話題になることが多くて、同い年が次々に判明した。30歳って、個性出さないとそろそろ生き残れなくなってくる歳なんだなあと思わせるメンツだ。

 29歳から30歳になるとき、「あー、あと10分で私の20代も終わりだ」と思い、「思い残したことはないよね」「けっこう好き勝手にやったもんね」と20歳からの10年間を振り返った。もう自分のことを「女の子」って言えないのは、ちょっと寂しいと思ったけど、カチッと日付がかわり30歳になったとき、「おおお、30だ30だ!」とバンザイした後、私の中で、すうーっと20代が遠のいた。おもしろいくらいに劇的に、扉の後側に。
 そして目の前に開けた30代。真っ先に思ったのは、「私はこの先の10年で何をするんだろう」ってこと。人にはそれぞれペースがあるけど、私にとって30代は、「実現の時代」。10代、20代の頃は目標を持つだけでいい、前に進んでることが明らかならそれでいいけど、これからは「思った自分」を現実のものにしていかなきゃいけないんだよ、どうする?

 気づかない間に、私は見た目も歳とったみたいだ。30ガケップチの明菜じゃないが水商売にスカウトされなくなったし、美容院に行けばJJじゃなくてVERYなんか出されて「それはあんまりじゃない?」と思ったり、洋服を買いに行けば以前なら「いいじゃん、似合うよ」だったのが「すっごくお似合いです」と店員さんの言葉使いが違う。そろそろお金かけてメンテしていかないと、顔も体もやばそうな感じ。
 周りの30歳を見ると、「エエ、私もこの人と同じように見えてるってこと?」と青くなったり、「工藤静香だって30で幸せ絶頂になったじゃん、いけるいける」と希望を見いだそうとしたり、「やっぱ30はハンパだわ。実力だけで輝けるほど実績ないし、かといって若い子にない色気が出せるのはキレイな人だけだあ」としょんぼりしたり。

 私がこんなふうに他人を切羽詰まって目で追うようになったのは、最近のことだ。「これは良くない傾向だぞ」と思い、まじめに考えてみた。20代との別れはあんなに潔かったのに、いったい何がいけなくて周りなんか気にしているのか。
 確かに特に差し迫った問題はないし、フリーでやってるのに目の前にはやりがいのある仕事がドンとあって幸せだ。贅沢?でも、仕事ひとつ取っても「何か私にしかできないことを」なんて言ってるだけじゃすまない、もっともっと長いスパンで考え、自分から仕掛けなきゃいけない年代に入ってきている。これからずっと1人かもしれないのに、10年、20年先の、こうありたいと願う「的(まと)」がまだ私には見えてない。それが、かなりはがゆい。レールなんか見えなくていい。小さくていいから、的が欲しい。的さえあれば、私はかなりがむしゃらに走れるのに。

 つまり本当に気になるのは歳なんかじゃなくって、私の生き方のド近眼ぶりってことなのだ。とりあえずじゃなく本当にどっちへ向かって走りたいのか、はかりかねて足踏みしているのに、年月の経過を体が正直に伝えてくる。だから、まだまだ平気だと思いたくて、周囲を見回してしまうのだ。「あたしはここに向かって走るんだ」ってのがもっとくっきり見えていれば、私だって今まで通り、他人のことなんか構うはずがない。そうだ、そういうことなんだ、きっと。
 焦るのはポリシーに反するけど、自分をいろんなものにさらしてみることが必要か。会う、聞く、見る、読む、感じる。陳腐なやり方だし、それがすぐ何かを生むなんてことには期待しないけど、前に進もうとする自分でいるってことが見えない何かを動かすはず。