第5回『何でもおみくじ化』(2001_05_03)
 私はなんでもかんでもおみくじにしてしまう変な癖がある。通りすがりの人の会話が一言ふっと耳に入ってくると、それに一喜一憂する。「大好き」とか「超うれしい」なんて言葉だったら、「ラッキー♪」と思う。「もう、やだ」「むかつく」なんかだと、「あっ、今日は駄目かな」と思う。女子高生の「サイテー」なんてのが聞こえると、文字通り最低だ。

 町のあちらこちらにある教会も、おみくじの対象となる。たいていの教会には掲示板のようなものがあって、今週の説教のタイトルが貼ってあるからだ。「実りの秋に」なんてのだと「よっしゃー」と思うし、寝坊して駅に小走りしてるときに「子らよ、起きなさい」と書いてあれば「そうだわ。早く起きないと」と思い(ちょっと違う?)、「雪よりも白く」とあれば「最近の私の心は汚れていないかしらん」と考える。今までで唯一、どうしてもおみくじ化できなかった説教は「荒野の穴から」というやつ。穴から何が出るのかまで書いてくれないと分からーん!(説教のタイトルとしても、どうかと思うけど…)

 テレビのチャンネルを変えるときだって、おみくじだ。映画をやっていて、たまたま誰かが撃たれて死ぬシーンが映っていたりすると、「もう、こんなタイミングで死なんといて」と思う。幸せな男女がまさにベッドに倒れ込まんというシーンだったりしたら、それはスペシャルの大吉。
 うちはケーブルTVだけど、ムービー、ニュース、TVショッピングなどいくつもあるチャンネルをカチャカチャと変えるときには、ポジティブな画面かネガティブな画面か、どっちが多かったかで総合的に判断する。映画でキスシーン、MTVで磔になったイエス、ニュースで株価暴落、ショッピングで「完売です」なんてことになったら、「恋愛はうまくいくけど、そのために何かが犠牲になる。おかげで周囲も混乱するけど最終的には皆ハッピーってことか」と、勝手に全部をつなげたりもする。

 こう書くと、我ながらなんとアホなことか。まったくご苦労なこと。でも、私だけじゃないだろうという気もするんだけど、どうなんでしょう。
 私の奇妙なおみくじ癖を分析すれば、私の前に投げ出されるすべては出会いだし、言葉って人を呼ぶ不思議な力があると思うし、すばらしいものを目に映せば自分もそれに染まるような気がするから。 でも、だからといってカメレオンみたいに背景にあわせて全身の色を変えるつもりはなくて、あえて言うなら、くるくると色の変わる尻尾をながめて遊んでいる、といった感じかなあ。そう、私には誰にも見えない尻尾が生えている!ほんとです。ふふ。